今川・北条の境界の城であった興国寺城に行ってみる 大空堀を散策できる

歴史を感じる旅
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最近今川義元に興味を持っており、今川・北条の領土の境界付近に常にあった興国寺城に行ってきました。

興国寺城は現在の静岡県沼津市の原駅のあたりにあります。

富士川以東にあたるこのエリアは1500年代に駿河・遠江・三河の三国に跨って領土を持っていた今川家と北条家の国境付近にあり、領地争いの渦中におかれる土地でした。

このエリアにある興国寺城も当然今川・北条の領地争いに巻き込まれていました。

義元の時代には、今川領国となっていたこのエリアに義元とその兄玄広恵探の家督争いである花倉の乱で北条氏が侵入しました。

北条氏はその後退いたものの、天文6年(1537年)からはこのエリアを巡って河東一乱が展開されました。

義元の在世期間は基本的には今川領国であったものの天文7年(1538年)には一度北条氏に掌握されました。

義元の時代から少し遡りますが、興国寺城は伊勢新九郎盛時こと北条早雲の旗揚げした城として有名です。

早雲は、今川氏親の家督争いで氏親を支援した功により、長享2年(1488年)に富士郡下方12郡を与えられ興国寺城の城主になりました。

ついでながら早雲とはですが、興国寺城主となった後の明応2年(1493年)には伊豆韮山の堀越公方足利茶々丸を攻め戦国大名として名をあげだしました。

明応4年(1495年)には大森氏を退け北条氏関東支配の拠点となる小田原城に入っています。

最終的には、その生涯で伊豆・相模を領国とするに至り北条氏の繁栄の祖となりました。

少し話逸れましたが、この興国寺城に訪問してきましたので本記事で記録します。

静岡県沼津市の原駅で下車する

最寄り駅である静岡県沼津市の原駅に到着し下車しました。

原駅

原という場所は元東海道の宿場町で原宿と呼ばれていたようです。

小さな田舎の駅で周りは基本民家です。

駅の前には原宿と湯島マップというのが掲げられ駅まわりのスポットが記載されていました。

原宿と湯島マップ

こちらのマップ上部に興国寺城跡も載っていました。

白隠禅師誕生地に立ち寄る

駅に着いたのが11時頃で時間に少し余裕がありましたので、興国寺城に向かう前に駅から歩いて10分ほどのところにある白隠禅師誕生地に立ち寄りました。

白隠禅師誕生地

白隠禅師は臨済宗中興の祖と呼ばれる人で、貞享2年(1685年)2月25日に駿河国原で産まれ、15歳で出家、33歳で松陰寺の住職となり、42歳からは各地を巡り禅の教えを広めました。

この誕生地は市によって整備されており、白隠禅師の産湯を汲んだとされる井戸も残されています。

白隠禅師の産湯を汲んだ井戸

昼食を取りつつ興国寺城に向かう

白隠禅師誕生地を後にし、興国寺城へ向かいました。

興国寺城までの道として興国寺城通りという大きな通りがあったためそちらを歩きました。

興国寺城通りの看板

こちらの通り沿いは昼食を取れる店がいくつかあります。

私は静岡以外ではあまり見かけない五味八珍というファミレスがあったためそちらで昼食を取りました。

昼食後30分くらいまっすぐ歩いていくと突き当りの道路の向こう側に興国寺城が見えます。

興国寺城を巡る

興国寺城の本丸まで登る

興国寺城跡という看板の矢印の通りに上がります。

興国寺城跡案内ポール

登ると言っても小さな城であるため、なだらかな坂を3分ほどあるけば三の丸・二の丸を抜けて本丸にたどり着けます。

興国寺城二の丸・本丸へ至る坂

何もありませんが次の写真は本丸の写真です。

興国寺城本丸

奥に見えるのが本丸を囲む土塁です。

二の丸を横目に坂を登っていくと本丸の下にたどり着きます。

本丸には解説板、石碑、小さな社があります。

興国寺城跡解説板

写真には写ってませんがこの解説板の近くに興国寺城のリーフレット・スタンプが置いてありました。

興国寺城跡の解説板の隣には天野三郎兵衛康景(以後、康景)の解説板があります。

天野三郎兵衛康景解説板

康景は興国寺城最後の城主です。

関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)に1万石の領主として興国寺藩主となり、興国寺城に入りました。

興国寺藩主となる前は、徳川家康の家臣として三河三奉行の1人に任じられ、家康が関東に入ってから江戸町奉行に任じられていました。

三河三奉行の時代には「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵」と評され、大変公平な人物であったようです。

興国寺藩主となった後は領内の治水工事や農政に力を注いだそうですが、慶長12年(1607年)に逐電しました。

逐電は、興国寺城跡の資材を盗みに入った盗人を家臣が殺してしまったことが発端です。

その盗人は天領(幕府領)の農民たちであったため、殺害した家臣の引き渡しを康景は求められることになりました。

康景は盗人が天領の農民であるからといって家臣が罪に問われるのはおかしいとして最終的に城・領地を放棄して逐電しました。

こちらはどちへんなきと言われた康景らしいエピソードとして知られています。

現代の私の感覚からすると殺しまでした家臣は咎められて当然と思いますが、時代の公平感覚なのだと思います。

逐電の結果として、興国寺城は廃城となりその役目を終えたため、康景は興国寺城の最後の城主となりました。

これらの看板の隣には2つの石碑があります。

先述している早雲と康景の碑です。

北条早雲碑
天野康景碑

石碑と看板の隣に穂見神社の小さな社がありました。

穂見神社

興国寺城の天守台まで登る

興国寺城は天守台まで登れるようになっているため登ります。

ちなみに天守台とは言いますが、何か建物はあったものの瓦が出土していないことから天守閣はなかったと言われています。

登りはじめるとすぐ天守台石垣が見られます。

天守台石垣

天守台石垣の脇に階段があるのでそちらを登ります。

天守台への階段

登ってすぐ左が石垣跡の上にある天守台です。

現在の天守台には何も建っていませんが建物の柱の土台となっていた礎石が残されています。

興国寺城天守台

天守台の奥には西櫓台があります。

天守台から見た西櫓台

興国寺城西櫓台からは遠くに駿河湾を見ることができます。

興国寺城西櫓台からの景色

山城ではありませんしそれほど高くもないため景色が見どころということはないですが、上からの景色を見たいのであれば西櫓台が1番いいと思います。

興国寺城の大空堀を歩く

天守台に登った後は天守台に登った側の裏側にある大空堀に降ります。

大空堀の案内板

空堀は水のない堀で大空堀は大きな空堀です。

この興国寺城の大空堀は歩くことができます。

大空堀

歩けるのは新鮮で楽しめますし、写真ではいまいち伝わりませんが大空堀というだけあって天守台を見上げると壮観です。

大空堀から天守台を見上げる

大空堀を歩いていると小さな穴がありますが、こちらは防空壕です。

大空堀の防空壕

ちなみにですが、本丸脇には大空堀にでられる裏道があります。

本丸脇の大空堀への通路

解説板前で他の方が説明を読んでいたためできれば少しずらして1人で読みたいと思っていたのですが、10分くらい動かなかったためうろうろしてたところ見つけました。

おかげで他の方々(私以外に3組ほどしかいませんでしたが)と違う周り方ができゆっくり見られました。

興国寺城の清水曲輪を探す

興国寺城の地図を見ると本丸以外に北の曲輪と清水曲輪があります。

大空堀を挟んで天守台の向かい側にある北の曲輪は大空堀から軽く登ることもできたのですが、清水曲輪は本丸からのルートがありませんでした。

そのため、1度興国寺城から出て反時計回りに外周を進んで探してみました。

外周を進む中で清水曲輪の方に向かっている坂を見つけ登ってみたのですが、手入れがされておらずあまりに草が生えているため断念しました。

JRの作業用に整備された坂のようでしたので突き進んでたとしても清水曲輪のあたりにはつけなかったようには思います。

結果として清水曲輪を登るというのは断念しました。

天然温泉ざぶーんに立ち寄り帰る

興国寺城を後にし帰路に着きます。

興国寺城に向かう途中で天然温泉ざぶーんというスーパー銭湯がジョイランド原というパチンコ屋の上にあるのを確認していたため寄って帰ることにしました。

こちらは食事処・サウナもある普通のスーパー銭湯で、お昼過ぎでもそこそこ賑わっていました。

パチンコ屋と一緒になっていることもあり広めの駐車場、喫煙所もあります。

原駅から興国寺城まで歩くと30分はかかり暑ければそれなりに汗をかいていると思いますので、帰りに立ち寄るのはおすすめです。

ざぶーんを出たら原駅に戻りました。

11時すぎに原駅を出発しましたが17時くらいに戻ってくることができました。

のどかな街でのんびりできますし好奇心も満たせるためちょっとした旅によかったです。

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