浦和宿本陣跡を訪れる 今はサッカーの街として知名度がある浦和の過去に興味を持つ

歴史を感じる旅
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浦和という街に興味を持ち、浦和宿本陣跡に行ってきました。

少し前は浦和市として埼玉県の県庁所在地であり、大宮市・与野市と合併してからは政令指定都市さいたま市の一部となっている浦和のことです。

現在は進学校が多い家族で住みやすい土地や埼玉屈指の高級住宅街、また有名なサッカークラブの所在地などとして知られています。

この現在の浦和になるまではどのような街だったのか気になったため少し調べて見たところ、江戸時代には浦和宿という中山道の宿場町であったことが分かりました。

中山道とは江戸と京都を結ぶ街道で今の群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県などの土地を通ります。

中山道浦和宿については、看板に説明がありましたので以下そちらで説明します。

中山道浦和宿の看板

浦和宿は戦国時代末の市場集落を元に形成され、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が禁制を発布し民政の安定化が図られてから発展しました。

市場集落とは、その名の通り市場を中心に形成された集落です。

禁制とは、人々に対して乱暴・狼藉をするなや火事を起こすな、不当なことを言い立てるなというような禁止事項を広く示したものです。

その後、徳川家康が関八州をおさえ街道を整備し、慶長7年(1602年)に宿駅への人馬継立を定める中山道の宿駅制度を決めました。

起点の日本橋から数えて3番目の宿駅として浦和宿は整備されます。

間の2つの宿駅は板橋宿、蕨宿です。

結果として、天保14年(1843年)には南北10町42間(1167m)、家数273軒、人口1230人、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠15軒の規模になっています。

宿場における本陣とは、参勤交代する大名、公家、幕府の役人が宿泊する場所で、その土地々々で幕府公認の本陣が定められていました。

脇本陣は、その本陣に泊まりきれない場合の予備として指定されていた宿です。

どちらも格式高い宿ですが脇本陣は一般客の宿泊も許されていたようです。

この浦和宿は上町、中町、下町に分かれており2と7のつく日に交代で市が開かれ、日用雑貨品、穀物、農具、薪炭、木綿布など多種多様なものが売られていたとあります。

日用雑貨品が気になりますが、江戸時代の雑貨といえば、櫛や簪、白粉、紅、磁器などでしょうか。

毎年12月12日の調神社の酉の市はその名残とのことです。

浦和宿の概要はこのくらいにして実際に本陣跡に行ってきた話を記載します。

浦和駅に到着する

11時頃に浦和駅に到着しました。

駅は京浜東北線、東北本線、高崎線、湘南新宿ラインが乗り入れていて駅ビルもありそれなりに大きいです。

中央改札を出て西口から駅を出て浦和宿本陣跡に向かいました。

ついでながら東口から出ると名古屋PARCOや池袋PARCOよりも売上が日本一の浦和PARCOに行けます。

玉蔵院に到着する

浦和駅を出て浦和宿本陣跡に向かうと、10分ほどしたところに玉蔵院があります。

玉蔵院
玉蔵院石碑

平安時代に弘法大師(空海)によって開かれたとする古刹です。

弘法大師とはご存知の通り生年774年没年835年の真言宗の開祖です。

本当に今の埼玉県に来たことがあるのかは定かではありませんが、玉蔵院も弟子が来たなど少なくとも何らかの関連があると思われます。

私はあまり詳しく見なかったのですが、山門、地蔵堂はさいたま市指定有形文化財、木造地蔵菩薩立像は埼玉県指定有形文化財です。

広さ的にはさほど広くないですが、浦和駅近くの人気のあるエリアと考えると大きな敷地です。

浦和宿本陣跡に到着する

玉蔵院を後にして5分ほど歩くとマンションが立ち並ぶ中に仲町公園という公園があります。

そこに浦和宿本陣跡の看板があります。

浦和宿本陣跡看板

星野権兵衛家が代々本陣を努めており母屋、表門など当然ありましたが、明治時代にほとんどが取り壊され、今では緑区大間木に移設された大熊家表門しか今は残っているものがないと記載されています。

もう1つ新しい看板が立てられていました。

浦和宿本陣跡看板

概ね同じ内容が記載されていますが、加賀100万石の前田家が宿泊したことや14代将軍徳川家茂のもとに降嫁した和宮が昼食を取ったことが記載されています。

この2つの看板の間には明治天皇行在所阯と彫られた大きな石碑があります。

明治天皇行在所阯石碑

明治天皇が明治元年と3年に大宮氷川神社に行幸しており、その際の行在所として使われたことを記念して立てられました。

行在所とは天皇が行幸などで出かける際の仮の御所を指します。

ついでながら仲町公園に着くまでの道にあった埼玉会館の近くにも同様の石碑がありました。

埼玉会館近くの明治天皇行在所阯石碑

中山道を通って浦和駅に帰る

本陣跡を見られたため満足して駅に戻りました。

行きは玉蔵院に面する道を歩いたのですが、帰りはその1本隣にある中山道を通って帰りました。

中山道石碑

本記事の最初に載せた中山道浦和宿の看板もこの隣にあります。

中山道浦和宿看板

車通りも人通りも多くお店も立ち並んでいる活気のある通りです。

ウワイトコーヒーに立ち寄る

浦和駅に到着しましたがまだ少し時間があったため少し休憩することにし、駅から5分以内の位置にあるウワイトコーヒーに寄りました。

古民家を改装したおしゃれで静かな喫茶店で女性客やカップルのお客さんで席が埋まっていました。

ただ私が行った建物のウワイトコーヒーは4月には閉店するようで、中山道の通りに引っ越しするようです。

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