今川家の菩提寺である臨済寺を訪問しました。
桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の今川家です。
臨済寺は静岡県静岡市にあるお寺で、家督を継いでいた兄氏輝を弔うため、義元の軍師として有名な太原雪斎を教えた大休宗休を開山として義元が建立しました。
禅の修行寺なので普段は入ることができませんが、年2回今川義元の命日である5/19と摩利支天祈祷会の10/15だけ特別公開され入ることができます。
今川義元の命日である5/19に私は訪問してきました。
静岡駅に到着する
臨済寺の最寄り駅である静岡駅に12時弱頃に到着しました。
静岡駅は県の名を背負う大きな駅で賑わっています。

乗降客数は10万人弱で東京近辺で言うと新木場駅並ですが、ベッドタウンという訳ではなく周りは商業施設が多くあり駅前で必要なものは何でも揃いそうです。
この静岡駅は今回の目的地である臨済寺の最寄り駅ではあるのですが、1時間くらいは歩く必要があると分かっていたため、到着したらすぐ目的地に向かうことにしました。
駿府城跡を横目に通り過ぎる
静岡駅を出るとすぐに駿府城跡が見えてきます。
大きな堀や組み立てられそうな甲冑のオブジェがあるなど立ち寄りたい気持ちになりますが、臨済寺の公開時間に制限があるため横目に通り過ぎました。


後で帰りに少しだけ時間があったので寄った際のことを記載していますが、駿府城目当てで来たわけではないため記載は少なめです。
鷹乃森二加番稲荷神社に参る
徳川家康が晩年を過ごした静岡なだけあり残されている史跡がたくさんあります。
適当に歩いても何らかの史跡に出くわします。
私は鷹乃森二加番稲荷神社というのに出くわしました。


加番というのは、駿府城の守衛の役で、一加番、三加番と他にも加番役が存在したため二加番とナンバリングされています。
案内板によると、二加番の屋敷跡であるこの地に守護神として稲荷社が祀られたとのことです。

徳川慶喜屋敷跡に辿り着く
さらに歩くと偶然徳川慶喜屋敷跡石碑を見つけました。


徳川慶喜は江戸城開城の後、明治30年(1897年)に東京に戻るまでの間、駿府に隠棲します。
隠棲期間のうち、後半の1888年3月6日から1897年までこちら(西深草)の屋敷跡の場所に住んでいたとのことです。
静岡浅間神社にお参りする
徳川慶喜公屋敷跡を後にしてさらに歩くと、大きな立派な門が見えてきました。
静岡浅間神社入口です。

神部神社、浅間神社、大歳御祖神社と合わせて静岡浅間神社と呼ばれています。
義元が烏帽子親となり家康が元服した神社と言われています。
目的地でなかったためいいのですが、工事中で浅間神社、神部神社の本殿は見られませんでした。
昼過ぎでそれほどのんびりもしていられないと思ってましたので、大歳御祖神社もスルーしました。
またの機会に静岡浅間神社は訪れたいと思います。

楼門は下層に屋根がない2階建ての門を指します。

舞殿は神社内に設けられた舞楽を行う場所を指します。
臨済寺に到着する
さらに歩いていくとようやく臨済寺の文字がでてきました。

案内表示を越えて5分ほど歩くと臨済寺の門が見えました。

写真で分かる通り、開帳日であるからといって混み合ってたどり着くのが大変ということはなく、ちらほら向かっている人がいるなというレベルでした。

近寄ると特別公開今川氏輝公、今川義元公命日忌という立看板が立てられていました。
臨済寺に入る
臨済寺に入ります。
特に何か記載するなど必要なく門をくぐれます。
門をくぐると上り階段があるので上がります。

階段を上りきると本尊を安置する本堂の真正面です。

上がった左手で靴袋を配布してくれているのでそちらに靴を入れて上がります。

この写真で左にマットが引かれていると思うのですがそちらに進むと、2体の像があります。

左は太原雪斎像です。
言わずと知れた今川義元公の軍師で、臨済寺開山の大休宗休の弟子です。
像自体がいつどのように作られたという経緯を把握していないためどの程度本人に近い顔をしているかは分かりませんが、精悍な顔つきをしていますね。

右には大休宗休像がありました。
厳しそうな顔をしています。
本殿で今川義元と対面する
前の部屋を出て進むといよいよ本殿です。
本殿に上がると左手にすぐ今川義元の像があります。

教科書にも出てくることがある有名な像です。
織田信長に桶狭間で敗れたことで有名な今川義元ですが、生涯を通して色んな事績があります。
花蔵の乱で兄の玄広恵探との家督争いに勝った後の20年強で駿府・遠江・三河の大半を治め今川家史上最大の版図を得ました。
隣には兄の今川氏輝の像があります。

氏輝は義元の兄で義元の前に家督を継ぎましたが若くして亡くなりました。
弟の彦五郎と命日が同じでありその死に何者かが関与したという陰謀説があります。
本殿の真ん中にある内陣(正式名称は定かでないですが)にも入ることができました。
内陣前には焼香台があり、両脇には頂相(禅僧の肖像画)がかけられています。


内陣内には今川家や中村家の霊璽(これも正式名称が分かりませんが)など色々と置かれていました。

中村家は、家康が関東に移封になった際に駿府14万石を拝領した中村一氏の中村家です。
家康の小さな像もありました。

竹千代君手習の間・夢想庵を覗く
内陣を出て奥に進んでいき階段を登ります。
登った建物には竹千代君手習の間があります。

竹千代は家康の幼名で、4畳半のこの部屋で今川家人質時代に手習を受けていました。
部屋の向かいには受付がありお坊さんが座っています。
夢想庵という茶室の受付で、こちらに並んで整理券代わりの色付きの札を受け取れます。
札を受け取る際に入場時間を指定されます。
1時間程度の待ち時間が基本で、私は13時頃に受け取り14時10分に来るよう伝えられました。
適当に時間をつぶして14時10分になるとお坊さんから入場の案内があり入ることができました。
夢想庵は高い位置に建てられており細い階段を登ります。


中には2部屋あります。

20人近く夢想庵にいたため奥にあった小部屋以外は撮れませんでした。
10分ほどで降りるよう指示されるので降ります。
夢想庵に行く前の時間で臨済寺の建物の中は見終わっていたため、降りた後は建物から出ました。
大体1時間もあれば建物内を全て見られます。
今川義元・大原雪斎の墓に参る
外に出た後は今川義元・太原雪斎の墓にだけ立ち寄ることにしました。
義元の墓(墓かは確信が持ててませんが墓と呼称)は臨済寺の門を潜って右側の坂の中腹にあります。

太原雪斎の墓は段々になっているお寺の墓地の最上段あたりにありました。

近くに今川氏輝の墓もあります。

高い位置にあるため振り向くと静岡の町を見渡せます。

お墓に参った後満足感を感じながら臨済寺からお暇しました。
駿府城を突っ切って帰路につく
行きの道で駿府城跡の近くを通りましたが立ち寄らなかったため、帰りは中を通って静岡駅まで向かうことにしました。
色んな史跡が残されていましたが今回の徘徊の目的地でなかったため割愛します。
徳川家康像に挨拶して帰ります。

余談ですが、中は公園になっていて人がそれなりにいるため写真を撮るとき少し恥ずかしいです。
駿府城を抜けたら静岡駅で無事帰路につきました。

